Re;
授業中。いつもなら静寂な、退屈した時間を過ごしているはずだったのだが……。
正面の黒板に書かれている一言。ただその一言だけで、今この空間は静寂などというものは微塵も見られない姿になっている。
その一言――
『自習』と。
教室内にいる生徒全員にとてつもない活気を与える魔法の言葉。それが、この黒板には書かれていた。自習と書かれていて、真面目に勉強する奴は国立大学とかに進学したい奴くらいだろうが、進学校でもないこの高校でそんな奴はいない。周りを見渡せば、寝る、本を読む、携帯を構う、ゲームをすると言ったところだろう。
俺の隣の席にいる義晃もそう思っている奴の一人みたいだ。
「それにしても、金曜日の午後の授業がつぶれるのはありがたいなぁ。これでぐっすり眠れるぜ!」
「義晃、お前は授業があっても寝てるだろ」
「だってよ、昼飯食ってそのままSHRまで何もやらなくていいんだぜ。これは、神様が俺に寝ろって言ってるようなものじゃん!」
確かに、午後の授業が全部潰れるのは嬉しいが……嬉しい以前に、驚きだな。こんな日は、もう一生ないような気がする。
「まあ、寝たいなら勝手に寝ればいいさ。俺が刺激的に起こしてやるから」
「刺激的!?」
「そうだな……例えば、お前が寝ている間に口の中にタバスコ入れるとか。七味やハバネロ、その他諸々も付けてな」
「ひぃぃーーっ!!」
「あとは、よくある『肉』の文字を額に書くとか。それだけじゃ刺激的じゃないから……まあ他にも何か書いておくか。最近、一部で流行の太眉とか」
「タバスコよりかはまだいい気はするけど……それでも嫌だよ!」
「まあ、嫌なら寝るなって事だ。一応、見張るように言われてるからな」
室長って立場だからまあしょうがない。とりあえずそれっぽく振る舞っておけば文句は言われないからいいけれども。今日だって、自習が始まるときに『周りのクラスに迷惑にならないように〜』とか言っておいただけだ。
「そう言うんだったら、今寝てる奴を起こしてから言ってくれ!」
「今寝ている奴は……覚悟があるんだろう。そう、寝ていいのは起こされる覚悟のある奴だけだ!」
「まあ確かに、先生にいつも怒られてるような人しか寝てないけどさ……」
ちなみに、義晃はいつも寝ているにも関わらず怒られることはほとんどない。俺の考えでは、こいつの寝方が寝ているかどうか微妙だから、ということで結論が出ていたりする。
「まあ、眠くならないように何か面白いものでも探してやるよ」
そう言って、自分のカバンの中を漁る。とは言っても、普段から暇を潰せるものや遊べるものは持ってきているわけでもないので、これといって面白そうなものはない。そのことを義晃も知っているはずなのだが、何故か俺を子供のような期待の眼差しで見つめている。このまま何も出さずにいるのはまずいか……。
「えーっと、面白い人にとっては面白い本ならあるな」
「お、どんな奴?」
「まあ、読んでみればわかるさ」
そう言って俺のカバンの中から一冊の本を手渡す。と、すぐに義晃は中を確認し始めた。こういう行動も、やっぱり子供っぽく見える。
「さーって、どんな本かな――って何コレ!?」
「『何コレ!?』って言われてもな。これはただのパソコン関係の専門書。そんなことまでわからないのか、義晃」
「いやいや、全然面白くも何ともない!」
「そうか? C言語とか、妙に面白そうだぞ」
「何それ? というかそれ以前に、なんでお前がそんな本持ってるの? PCにそこまで興味を持ってたっけ?」
「いや、これは俺じゃなくて兄貴のだな。ここの図書館、結構有名だろ? だから兄貴に時々借りてくるように言われるのさ」
「ふぅん。まあそのことはいいとして、他に面白いものはないの?」
結局話を元に戻された……。
「そうだな……。こういう時は他の人から何か借りるか。少なくとも俺より面白い物持ってる人はいるだろ」
「そんな快く貸してくれるのかぁ?」
そういう伝手がいた事を思い出したから、誰かに借りると言ったんだ。何も考えずに言ったわけではない。俺は自分の席を立ち、一番後ろの窓側の席の方へ向かう。
「藤原さん」
そこには本を読んでいる人がいる。眼鏡を掛けていて、物静かに本を読んでいる近寄りがたい少女、というマンガとかで出てきそうな感じの人。それがクラスメイトの藤原柚依である。しかし「近寄りがたい」と言っても無機質に本を読んでいて話しかけにくいというわけでない。本を読んでいる間は感情がよく顔に出ていて、物語の進行に合わせてとても笑顔だったり悲しそうな顔をしたりしているのだ。そんな彼女の楽しそうな時間を壊したくないという気持ちで近寄りがたい感じである。
とまあ、そんな感じの人のことをこんなに語れるのも、去年からクラスが同じだったことやその時に色々とあったせいか、いつの間にかそこそこ仲が良くなったという経歴があったりする。
「あ、古川君。珍しいですね、古川君から話してくれるなんて」
ちなみに、古川というのは俺の名前だ。フルネームは古川往人。
「ん、まあな。ちょっと話があるんだが……。なんか適当に本を貸してくれないか? あいつが……義晃が暇だと言うから暇つぶしとして何か欲しいんだ」
「別にいいですよ〜。本の種類は相変わらずですけどね」
本を読んでいる時とはまた違った笑顔で快諾してくれた。
「お、そうか。義晃ー。ちょっとこっち来い」
「何? 暇つぶし見つかったの?」
ゆっくりと、こっちにやって来る義晃。なんかすでに眠そうに見えるが、気のせいだろう。
「藤原が本を貸してくれるってさ」
「藤原さん……か。それは、どうも」
「いえいえ」
そういえば、義晃と藤原は話したことが無いような。妙にいつもと喋ってるときの雰囲気が違う。まあ、お互いに話すことが苦手というわけでは無いから大丈夫だとは思うが。
「そういえば藤原さんっていつも本読んでるけどさ、どんな本を読むの?」
「そうですねー、まあ基本的には漫画ですよ。ここ最近はジャ○プ系ばかりですね」
「おおー! じゃあ、早速何か貸して貰える?」
「どうぞどうぞー」
そう言って、義晃は藤原さんのデカいカバンの中を探り始めた。さっきまでの眠たそうな表情は欠片も見られない。
「それにしても凄いな、藤原は。相変わらずバイト続けてるんだろ? 大変じゃないのか?」
「いえいえ。やっぱり自分の楽しみのためですからね。それに、最近ではもう大分慣れていますよ」
「ん? 藤原さんってバイトやってんの?」
藤原のカバンを探っていた手を休めて、義晃が尋ねてきた。
「はい。学校帰ってすぐにコンビニでバイトしてますよ〜」
「てことは夜までバイト?」
「そうですね〜。十時くらいに終わるので、結構大変で……」
「そんなに働いてて、勉強とか体とか大丈夫なの?」
「無理してバイトしているわけでもないですから、大丈夫ですよ。学校生活に支障は出ていないですし」
本人はそう言っているが……。実際、授業中の藤原はいつも漫画ばかり読んでいたりする。前から思っていたのだが、成績とかは大丈夫なのだろうか。
「ならいいけどさ。さてと、それじゃあこれ借りてくぜ」
「えーっと……あ、はい。大事に読んでくださいね」
義晃が持っていた本を見ると……To○OVEるだった。女子から普通に借りていくところが凄いというか何と言うか。
「さて、俺も何か借りていいか?」
「はい、もちろんですよ。色々お世話になってますし」
その言葉を聞いて、さっきまで義晃が夢中になっていたカバンの中を見てみる。と、そこには確かに○ャンプ系の漫画ばかりが入っていた。それもたくさん。これほどの漫画を持ってくるのは女子にとっては大変なことだろう。
「さて、どれにしようかな……」
「だったら、これなんてどうです?」
藤原の手の内にあった本は、T○LOVEる……だと!?
「いや、こういう本は薦めるものなのか? しかも女子から男子に」
「でも男子はこういうの好きじゃないんですか?」
「う……。まあ正直言えば嫌いじゃないけどさ、教室で読むものじゃないだろ」
「義晃さんは読んでますよ?」
「あいつは別だっ!」
そう言った瞬間、周りの何人かがこちらのほうを見てきた。ついつい声を張ってしまったようだ。『他のクラスに迷惑をかけないように〜』とか言ってた俺が大声出すのは、さすがに室長の立場的にマズイか……。
「せや。今のはアカンな」
背後から関西弁が!
「俺の心の声を読み取ったのはお前か、霧乃」
早坂霧乃。小学生のときに関西のあたり(具体的には知らない)からこの地域に転校、そして今の今までずっと同じ学校で同じクラスという信じがたい伝説を現在進行形で作り上げていたりする関係だ。
「そな需要のない昔話はどうでもええねん」
「だから、何故俺の心を読んだような発言ができるんだ!」
「そんな細かいこと気にしてるとハゲるで」
「俺は家系的にハゲないはずだ!」
曾じーちゃんもじーちゃんも、今は亡き人だがしっかりと髪は生えていたように記憶している。
「そか。それはすまんかったな。そのうち、謝罪として育毛剤でもプレゼントするで」
「だからハゲてねぇよ! そもそも、髪の話はもういい!」
「ほんなら神の話でもええで? 紙の話も大歓迎や」
「どっちも遠慮する。そもそも、そんな話に興味があるのか?」
「当たり前や!」
「即答!?」
相変わらず発言や行動が読めない女だ。付き合い長いっていうのに、霧乃の考えていることが良くわからない。
「八坂刀売神とかまでなら神の話はできるで」
「まで、って言われても基準わからねぇ!」
「紙の話なら、まずは簡単な光沢紙とかの印刷用の紙の話から……」
「いやいや、そういう話はいらない! そもそも「かみ」を連呼されると何が言いたいのかわかりにくい!」
「そうか。まだまだやな」
「……もういいから、話戻せよ」
自習の時間にもかかわらず、授業くらい疲れてる気がする。まあ、疲れのベクトルは違うのだが。それにしても、声を出しすぎたせいか、クラス全員の視線が俺と霧乃に集まっている気がしてならない。それ以前に、他のクラスにも迷惑になっているかもしれない。
「話を戻す……せや、自分が室長なのに自習時間に大声出すのはマズイって話やったな」
「そもそも、お前のせいで更に大声を出してしまった気がするんだが」
「ん、それはすまんかったわ」
それとなく謝る霧乃。何だかんだ言って常識はわきまえているからな、こいつは。状況に応じて適度に場を和ませたり、しっかりと言いつけたり。かなり空気の読める女だ。
「それはそうと柚依、何かマンガ貸して〜。実はめっちゃ暇やったんや」
「あ、うん。いいよ〜」
霧乃も義晃と同じく、藤原からマンガを借りていく。やはり暇つぶしにはマンガが最適なのか……?
「そういえば霧乃、お前は藤原と面識があったのか」
俺の記憶では、去年二人は別々のクラスだったはず。霧乃が図書委員というわけでもなかったから、二人の接点はほとんど無いと思うのだが……。
「今年の初め頃からやけどな。まあ細かいことは詮索せんでや」
「ああ。少し気になっただけだからな」
まあ、二人が仲良くやっているのならそれでいいだろう。俺としても、藤原と話せる人が増えてくれると色々と安心できる。学校で本を読むだけでは流石に精神的に疲れるときもあるだろうしな。
「ところで藤原、このマンガ借りてくよ」
「あ、はい。大事に読んでくださいね」
俺は適当にマンガを手に取り、自分の席へ戻る。何かと落ち着ける自分の席はやはりいい――
――結構面白いな、これは。時間を忘れて読み更けていた。カバー的にはジャン○では無いみたいだが……。友情というか熱血というか、いかにも少年マンガに代表されるような作品だ。やはりマンガは広いな。俺の知らない作品が数え切れないほどある。
「えっと、古川君? ちょっといいかな」
っと、妙な考察をしている間に人が近づいてくるのに気づかなかった。えーっと、彼女は……確か、坂上奏という名前だ。クラス内では、同姓にも異性にも比較的人気がある存在、といった感じだろうか。性格もよく、なかなかの美人だから当たり前といえば当たり前かもしれない。
「どうした、坂上」
それにしても、彼女と会話したことはほとんど、というか一回もない気がする。ほぼ初対面の人と話す時に近い状況じゃないか。あまり得意じゃないんだが……。
「あの、勉強を教えてもらいたいんだけど……いいかな?」
「まあ別に良いけど」
今の俺に断る理由は見当たらない。
「それにしても、自習という名の自由時間なのに勉強するのか。凄いな」
「凄くなんかないよ。ただわたしが休んでて、その時にあったテストを放課後受けなきゃいけないだけ」
そう言えば、二日間ほど坂上の席は空いていたような気がする。
「でも、坂上の成績なら俺に教わらなくても何とかなるんじゃないか? 坂上はクラス内での総合成績は上位三位くらいだったと思うんだが」
「それは『総合成績』でしょ。わたし、化学は全然だめなの」
「なるほど……。それなら、なおさら協力しないとな」
化学といえば、先生が酷い。噂によると、追試の合格点がとんでもなく高いという話や、夜まで残されて追試をやる羽目になるというようなことらしい。俺としてはそういう被害に会う人はできるだけ減らしたいからな。
「それに、学年トップの古川君に勉強を教えてもらうことは変じゃないでしょ?」
「……確かにそうだけどさ」
この学校で、同学年の中での俺の成績はトップ。ここの学校は俺の実力に適したレベルではないということだ。何故かと言えば、受験の日にものすごい熱が出て試験さえ受けていないからである。有名な進学校に入れず、結局滑り止めの私立に入ってしまったことは、例え記憶を消し去られても忘れないだろう。それだけ、後悔している。
「じゃ、始めるとするか」
ちょっとだけ気を取り直す。とりあえず教科書を出してテスト範囲を確認をしようか、と思ったところで後ろから人の気配を感じた。
「あれ、古川。坂上さんと一緒とは珍しい。そもそも、お前が誰かと一緒にいるのが珍しいな」
「義晃か」
邪魔しそうな奴が来てしまった。
「マンガは読み終わったのか?」
「まあな。そもそも一回は読んでるし」
別にマンガの話はいらない。問題は、義晃がいるとまともに勉強を教えられないような気がするということだ。こいつのことだから話したいことを話すだけ話して終わる気がしてならない。
「で、二人で何やってんだ? もしかして勉強?」
「いや……」
とりあえず勉強しているという情報は与えないことにする。知られる『そんなことよりさー……』ということになるに違いない。
(坂上、勉強しているということは教えるなよ)
と思いつつ、坂上にアイコンタクトを送ってみる。すると、彼女は俺に向かって頷いた。彼女が正しく理解できているかどうかは不安だが……まあ大丈夫だろう。
「義晃、お前はこういう本が好きだろ?」
そういって、俺は藤原に借りた本を義晃に手渡す。と、義晃はすぐさまページをパラパラとめくっていく。
「確かに。なかなか面白そうだね」
「だったら、早く席に戻って読んでみろよ」
「そうさせてもらうよ」
そう言ってすぐさま自分の席に戻る義晃。比較的扱いやすい奴で助かった。思ったよりすんなりとこの場を去ってくれた。これが霧乃だったらそうはいかないだろう。
「それじゃ、勉強しようか」
そうして、俺は坂上に勉強を教えていた。彼女はどうやら物分りがいいみたいで、教えていたことをすぐに吸収できている。彼女ならもっと上の高校にいけたと思うのだが……。まあ、俺みたいな事情があったということにしておこう。率直に質問して嫌な気持ちになってしまっては申し訳ない。
「それにしても、古川君は凄いねー。こんなに上手に教えれるなんて」
「いや、そんなことはないさ。少なくとも、坂上の理解力が他人よりは充分にあるみたいだからな」
義晃とか霧乃とか、比較対象は結構いるからな。間違いない。
「本当?」
「ああ。お前ならコツコツ努力してれば、進路の幅はかなり広がるな」
「えへへ、そうかなー?」
彼女はとても嬉しそうにしていた。こういう笑顔を見ると、俺も勉強を教えてよかったなと思える。
キーンコーンカーンコーン……
と、そこで狙ったかのようなタイミングでチャイムが――
「って、霧乃、このチャイムお前の声真似かよ!」
霧乃の特技その1。声真似(主に無生物)。なかなかに嫌らしい。
「気にせんでやー」
「いや、気にならずにいられるかっ! 紛らわしい!」
「そんな細かいことに気にしてるとハゲるで」
「もうそのネタいらねぇ!」
こいつと話すとツッコミするだけで疲れる……。坂上もくすくす笑ってるだけで助けてくれない(まあ、あまりこういう雰囲気に慣れていないような気がするからしょうがないが)。
「ま、もうすぐチャイムが鳴るところやねん」
と霧乃が喋り終えてすぐに本物のチャイムが鳴り始めた。本物のチャイムを改めて聞くと、さっきの霧乃チャイムとはかなり違って聞こえる。
「さてと……勉強教えてくれてありがとね、古川君」
「こちらこそ。俺も色々と勉強になったからな」
実際、人に正しく物事を教えることは自分自身の勉強にもなるものだと思っている。
「……もし良かったらこれからも勉強を教えてくれないかな?」
「もちろんさ。こんな俺でいいのなら、な」
「そういってくれると助かるよ〜。本当にありがとう!」
そう言って坂上は自分の席に早足で戻っていった。彼女が席に戻るとすぐに数人の友達と思しき人が彼女の元に集まっていくのが目に入ってくる。さすが、人気者だな。
「さってと、うちも安心できてよかったわー」
まだ傍にいた霧乃が伸びをしつつ話しかけてきた。
「安心? 何にだ?」
「うーん……」
霧乃は何か少しだけ、首をかしげた。わずかに静寂な時間が流れる。そして、彼女は表情を変えた。今までこいつと過ごしてきた何年もの生活の中でも見たことのない、とてつもなく真剣な表情。
「正直に言うとな、自分が他人と話してるところなんて今までほとんど見て来んかったんやよ。特に高校に入ってからや。自分、全然他の人と話さへんかったやろ?」
「そう言われてみればな」
高校入学時に、出席番号が一個前だった義晃とは話をしたし、藤原も仕事を手伝ったりとか何とかで会話はした。だが、それ以外の奴とはまともに会話したかどうかさえわからない。部活も入っていないためか、同級生の友達というのはごく少数しかいない。
「せやで、うちは心配やったんや」
「…………」
「それだけやないで。今年は自分が室長やろ? 自分みたいな堅物が室長やとやっぱりみんな話しにくいねん。せやから、その調子で学校祭がいい形で終われるかどうか不安やったんや」
「そうか……」
この学校の学園祭は同じ地域の他校に比べかなり力を入れている。入りたての一年生が二、三年生の姿を見て感動し『来年も後輩を感動させられるような行事にする』という気持ちが伝統として、ずっと昔から受け継がれてきているらしい。そんなわけで学校祭に力を入れるのも当然といえる。
だからこそ、失敗という形で終わらないようにしたい気持ちは俺も同じだ。そして、その学校祭までもう残り一ヶ月あるかないかといったところである。
「でも今の自分を見てたら、なんとなく大丈夫やなって思うたで。誰かから話に来るなんて、まずありえんと思うてたからな」
「……ただ一人の、話したことのない女子と話しただけで、大丈夫と思えるのか?」
「それは確信しただけやで。自分が他人といい雰囲気の会話ができることを。坂上さんと話している時の自分は普段の堅い感じとはちごうて、楽しい会話ができる人やなって感じるような雰囲気やったんや」
そうは言うが、自分自身のことなので雰囲気のことはよくわからない。だが、これだけはわかった。霧乃は、誰かから俺に話しかけて来るようにしたのだと。そのために、わざわざ俺に突っかかってきたのだと思う。
(流石だな……)
心の中でそう呟く。こいつの行動は何も考えてないようで、実は何かを見透かしているからこその行動なのだ。付き合い長いっていうのに、霧乃の考えていることが良くわからないな、全く……。
「ま、そういうことや。それじゃ、次の自習時間は静かにマンガ読むから話しかけんどいてや〜」
「ちょ、まっ……」
俺の言葉も聴かず、さっさと自分の席に戻っていきやがった。
「おーい、古川ー」
霧乃とすれ違いで義晃がこちらの方にやってくる。藤原のマンガと思われるものを掲げながら。相変わらず空気の読めない男だな。まあ、話を聞いてない人にとってはしょうがないんだろうが。
「義晃、邪魔だ」
「そうかそうか。俺は古川の邪魔するためにお前と出会ったと勝手に思ってたりするんだよねぇ」
こんなことを聞いても、さっきの話しを聞いた後だと怒る気にもならない。むしろ感謝したいくらいだ。こんな俺だったが、一緒に学校生活を送ってくれていた。
「私の本、持ってかないでぇ〜」
義晃の後ろ側から、藤原もやって来た。義晃と藤原、この短時間でかなり仲良くなったように見えるな。こんな二人だからこそ、俺も話ができたりしたのだろう。
「二人とも、ちょっと聞いていいか?」
「何?」
「何でしょう?」
「お前たちは、学園祭を成功させたいか?」
俺は真剣に問う。藤原はともかく、流石に義晃も場の空気を感じ取ったのか、急に黙る。そして、二人は顔を見合わせて、俺に向かって言葉を投げかけた。
「当たり前だろ? 高校二年生って言ったら一番楽しい時期だぜ? そのときの学園祭を失敗させてどうするんだよ!」
「その通りです! このクラスでの思い出、私は一杯残したいです!」
「そうだな……そうだよな」
二人の言葉を聴いて、俺も決心した。まずは俺自身を変えるんだ。もっと、いろんな人と話せるように。まずは室長である自分が動かなければ、学園祭が近づいても皆が動かないのも当たり前だ。
そうと決まれば、残り一時間分の自習は学園祭について話し合う時間だな。何がしたいのか、予算はどうなのかなどなど。話し合うことはいくらでもある。
まあ、結局のところ、最初に言うべき一言は決まっている。ただその一言だけで、この空間の雰囲気を変えるのだ。
その一言――
『学園祭を成功させよう!』と。
Copyright(c) 2009 Huto Aizawa All rights reserved.